2015年10月30日

縛られていると気づく

自分のためだと思っていたら身動きが取れなくなっていた。
自由に動き回ることも出来なくて、私の体には境界があるのにと思った。
触れられていないのに、突き刺さって取れない釣り針みたいなものがこの胸にあり、あの人を見よ、忘れることなかれと刷り込まれていた事に気付く。
それは徐々に侵食していっていたので、自分でも気が付かないくらいに感染していて、末期寸前だった。
不満はあったが、不幸ではなかった。


こういうポエム的なものは自分がいいと思っても、他人に見せると意味がわからなかったり、別な意味に取られたりします。
自己満足でしかないので、見せて褒めてということもおかしいし、見て悩んでいるのかと気遣われることもおかしいのです。
ただ、あるがままというか、そんな感情の一片を一編にしたもの。
他人に見せてもらっても、あー。だし、見てもらってもあー。

理解するのもされるのも本当に難しい世の中だ。
理解を求めるのなら、わかりやすい言葉で伝えるのが一番です。
好きなら好きの2文字でそれでいい。

でも、複雑。そんなに単純なあたしだったら、もう幸せになれてるよーってな。
もっとみんな、幸せになれてるよなーって。
素直になるのは難しいです。
特に一人で素直になるのは難しいです。

私、あなたの事が、うんと好き、え?聞こえない?もう一回言えって?
うんと、うんと、うんこ。

こういう照れ隠しって、可愛らしくないですか?
あ、下品?あらそうお?
私可愛いと思って結構使ってるのに。
なんでしょ。まあいいけど。

この手のパターンは、聞こえてるけどもう一回聞きたいのだから、うんこなんて言ったら引かれるよね!
同じ読みで惹かれるだったらいいけどね、相手の好み次第だけど。

縛られるということについて、もう少し書いてみよう。
生きていると色んなしがらみに縛られるものだ。
親がいて、学校に行かねばならず、親元を離れては、食うために金を稼ぐことに縛られ、結婚したら配偶者や子供に縛られ、世間体や周りの評価に悩み、しがらみに縛られ、定年した辺りに配偶者が死んで、ようやく縛られる事から解放されるが、後は死ぬだけだ。

だから、若い頃に遊んどけってのは本当よね。
若いだけで多少は許されるんだから、なるべく遊ぶべきです。
私は遊んできたので、楽しかったです。
縛りは少なかったけど、それでもそれなりに色々縛ってくるものがありました。

それがほどけては、色んな感情を抱くのです。
ああ、なんて情緒的なのでしょう。

縛るんじゃなくて、結んだりね。
それをほどくの。

するんと解けた様のきっと美しきこと。
リボンで包まれたサムシング。
髪の毛は直にリボンでは結ばないけど、その類が絵的にいいけど、つかいふるされてるかしらね。

いいものは古いも新しいもない。

縛る、縛られる、縛る時、縛れば、縛れ。


posted by azeru at 20:44| 宮城 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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